| 活動の記録 |
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| ▼2002 |
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| 5月/ミャンマーに初の野球専用グラウンド(第一期工事)完成。 |
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| ユーロー夢支援「球場建設」第1期工事報告書 |
支部:ミャンマー
活動科目:スポーツを通じた薬物防止教育
及び青少年の健全育成
氏名:岩崎 ひとみ |
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【野球場建設 第1期工事】
◆ 建設開始 ― 第1部 ―
4月1日、建設が無事成功できるように、土地の神様への奉納とお祈りが捧げられた。日本でいう地鎮祭のようなものである。
150mx150mの土地の簡単な測量をし、白い旗を竹につけて,工事現場範囲を示す16本の竹棒を工事現場周辺に立てる。
4月2日、トラクターが入り,土地を興すことにする。草がぼうぼうと生え、乾季の終わり故、草は乾燥しているが,トラクターでなぎ倒すことに結構時間がかかっていた,そのときに火事が発生し、監督と野球選手たちは火傷を負いながら、他の土地へ火が移らない様、提供された土地だけで火を消し止めた。怪我の功名で、焼けて炭になった草が、トラクターで土と共に混ぜられ,土質は一つ改良された。
また、この土地は、ミャンマーが英国の植民地時代に、競馬場として使用されたところであるため、土を耕して見ると,大きな石,小石,粘土,土と、層になっていた。トラクターでまずは土地を興す。何本かの水抜き用の溝があり、そこに,大きな石をいれて、耕した土を入れていく。砂,山土ととにかく土を混ぜ,水を混ぜ,平らにしていく。
レベリングはこのように進めたが,そう簡単にいくものではない。トラクターだけでは,うまく山土,砂,土が混ざっていかない。野球選手達は一生懸命砂や土を運び,混ぜては馴らしていく。そのためにトンボを作り,それを使用した。野球選手が砂や土を運び、そこで、鍬を使って丁寧に混ぜていく、それを今ある土地の土と混ぜ合わせる、そして,トンボを使って、土を広げて、トントンと地面をたたく。
4月5月は,ミャンマーの夏。灼熱の炎天下、気温は42度にもなる勢い、汗は立っているだけでも吹き出る。この手作業を岩崎監督と共に7名の野球選手たちが毎日,毎日繰り返した。
ただ,問題はレベリング。平らにするだけではなく,レベルを合わせていかなければならない。ローダーを使用して、目でわかるレベルの差を削っていく。グレイダーをいれて平らにする。しかし、機械だけで,測量期も無く、完全にレベリングはできない。そこで,日本で野球を覚えたトゥン・トゥン・ソー氏が、大学の建築学専攻を活かし,土地を細かく分割し、糸と竹で分割した場所を限定し、水とビニールパイプで分割した土地のレベルを合わせて、全体のレベル合わせとした。そのレベルは竹に刻まれ、その目盛りで、混ぜ合わせた土を入れたり,又,削ったりと手作業は続く。
アウン・ナイン・ウー氏のご両親が,選手たちの昼食作りをかってでてくれた。約2ヶ月、毎日、15食分ぐらいの食事を作っていただいた。炎天下で,くたくただったけれど、ミャンマー料理がおいしかったことを覚えている。
ある程度,レベルが安定して時点で、ローラーを入れた。しかしながら,砂の分量が多い所にローラーをいくら入れても、余り効果は無く,一旦中止した。また、手作業が続き、再びローラーを入れた。
トラクターで耕し始めて,一体レベリングなぞできるのかと呆然と立ちすく日から,3週間目に目で見て平らに見える土地が広がった。 |
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